散文
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何故「書く」のか?
表現とは、自己満足ではない。
他者に伝えたいという強烈な想いが内包されているからこそ、
力強い作品に結晶できるのです―― 塩野七生
発見を他者に伝えること。これは必然なのだ、決して自己満足などではない。
個人の意思とは関係なく、そこには自然の節理とも言うべき大きな力が働いている気がする。他者や自分に向かって必死に「主張」することを私は今まで嫌悪してきたが、それはそのことに大きな意味を持たせている証拠で、傲慢ともとれる。違う、それはとても自然なことなのだ。
ただそれに大きな想いをぶつけられるか否かが表現者としての違いであり、それほどの表現者に成るということはそれほどの発見をするかどうかに掛かっており、
つまりそれが才能の有無のつながるのだと思う。
発見しようとすること。即ち「見る」こと。
モノを見ようとすると、より多くのモノが見えてくるに違いない。
人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。
多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。 ―― ユリウス・カエサル
知りたい、見たいと欲すれば手に入るモノの再発見。自分が仲介者にすぎないことを自覚しつつ、その世界の中に身を置いて表現すること。これこそが謙虚に表現者として生きる第一の肝要な事項なのではないだろうか。
「見る」か「見ない」かの違いは、「する」か「しない」かの違いと変りないと思う。「する」こと。私は今、迷わず大きな選択をするべきなのだ。
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大学に来ると、筋肉質な男の人たちがポーズを決めているポスターが机の上に置いてあった。
最近よくこういうことがある。
飴玉ふたつとか、シャーボとか、ビニールの殻とか。
それにしてもこれは面食らう。一体何なんだこのマッチョ軍団は。
更新されないと広告が出っぱなしで気になるので投稿。
このポスターどうしよう。
最近よくこういうことがある。
飴玉ふたつとか、シャーボとか、ビニールの殻とか。
それにしてもこれは面食らう。一体何なんだこのマッチョ軍団は。
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このポスターどうしよう。
今すごくいいプロットが頭の中を駆け巡った。
今、この現在、それを文字にできるかどうかはわからないけれど、
私は私の人生をかけてこの物語を全うしてやる。と思った。
良い体験。
今、この現在、それを文字にできるかどうかはわからないけれど、
私は私の人生をかけてこの物語を全うしてやる。と思った。
良い体験。
最近俺のポケットには何も入っちゃいない、なぜ金がないかって、それは俺がここのところフラナガン神父のニガー・クィーン・コーシャー・カフェに居るからだ。
随分とご無沙汰していたのだが、行ってコークをたのむころにはもうすっかり寛いでいた。隣で黒い顔のひつじがめえええと啼いている。
そこの常連、ゲイのジョーンジーが睡たそうな声で「どうして戻ってきたのさ」と、然して興味もなさそうに訊く。
「どうしてって俺、あんたのこと愛してんだよジョーンジー。ついでに自分のこともさ。だいっきらいだ。例えば、朝、とても気持ちの言い朝に目覚 めたとして、それはやっぱり現実を過ごすための習慣なんだよ。
それでちょっとした遊びをするってわけだ。うまくいったらここにくんだよ、神父様に会いにさ。と ころで神父様はどこにいらっしゃるんだ?」
返事はなく、代りに聞こえてきたのは軽いいびきだった。神父はまた若い男のケツでも追っかけまわしているのだろう。
のどが渇いた俺は、ジョーンジーの前にある透明の液体を口の中へ放りこんだ。
それは天国の味がした。
夜半に目が覚めた。
窓から外を見ると、松本のあかりが一望できる。時折車のヘッドライトが走っている。もうこれでほんとうにほんとうに最後なんだな、と思うと、しばらくの間連れ添った恋人と別れる間際になって、とても別れられないことを再発見したかのような気分に陥った。この数年間を繰り返し思い出すと、くるくると浮かび上がってくるのは恐怖と感動の中間地点。この空気とこの静けさはきっと京都では手に入らないものだろう。いまのこの時間になってようやく、別れが染込んできた。
わたしは今ホテルのセミスィートに泊まっています、
モダンでおしゃれな内装。何より照明がすてき。
高いところにある部屋のせいか、景色がとても美しい。
明日になると私は大阪に向かうのでしょう、
あの空間ともあの空間とも、そしてあの空間ともお別れなのです。
ここへ来てから全ての思い出めいたものが私を感傷へと誘いましたが、
よく考えるとそれらをいったん全部清算できるという事実は、やはりとても魅力的なのです。
あなたと出遭ったこの土地を離れるのは切ないけれど、ちょっとせいせいしています。