散文
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酷い嵐の日に、世田谷文学館にいった
茨木のり子の展覧会
良人への愛の熱量と、彼女の紡ぐ文字の雄弁さに圧倒され
今私の出力はディジタル化しているけれど
文字を書く気持ちよさ、
余白、
ことばの関係性のことなどを思い出した
いかんいかん、慢心は全てを台無しにしてしまう。
今宵はふるえる手で紙に書き写してみよう
彼女の詩を。そして私の言葉を。
特に好きでもなかった人を好きになった、
その嬉しさを行間にのせて。
茨木のり子の展覧会
良人への愛の熱量と、彼女の紡ぐ文字の雄弁さに圧倒され
今私の出力はディジタル化しているけれど
文字を書く気持ちよさ、
余白、
ことばの関係性のことなどを思い出した
いかんいかん、慢心は全てを台無しにしてしまう。
今宵はふるえる手で紙に書き写してみよう
彼女の詩を。そして私の言葉を。
特に好きでもなかった人を好きになった、
その嬉しさを行間にのせて。
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いつかの記憶の片割れが
滔々と頭の中に流れてきては消え、去って行く
この作業のなんと不健康なことか。
ひさびさに見返すと自分の痛々しさに一瞬うっと詰まってしまう。
しかし、
よく考えると村上春樹とか江國香織とかも、相当痛い。
まあ、ならいっか。
そこに突き抜けた自意識/美意識があるのならば、とふたたび思いなおす。
表現について、過去に塩野七生の語句を引用し書いた記事を見つけ懐かしく思ったが、
もっと公汎な意味において、自己満足などでは決してない、ということが今は分かっている。
つまり、
人類が時間という存在を識ってから、
予定調和が生れ、
互助、共感能力が身につき、
言葉が創られた。
従って、表現とは、象徴的な概念を他者と交換するための道具であると言える。
これは、数百万年前、森に棲むチンパンジーたちと袂を分かってから
ホモ族が身につけた最強の武器。
それを私は最大限に生かしたいと思うのだ。
痛い、なんて自省している場合ではないのだ。
滔々と頭の中に流れてきては消え、去って行く
この作業のなんと不健康なことか。
ひさびさに見返すと自分の痛々しさに一瞬うっと詰まってしまう。
しかし、
よく考えると村上春樹とか江國香織とかも、相当痛い。
まあ、ならいっか。
そこに突き抜けた自意識/美意識があるのならば、とふたたび思いなおす。
表現について、過去に塩野七生の語句を引用し書いた記事を見つけ懐かしく思ったが、
もっと公汎な意味において、自己満足などでは決してない、ということが今は分かっている。
つまり、
人類が時間という存在を識ってから、
予定調和が生れ、
互助、共感能力が身につき、
言葉が創られた。
従って、表現とは、象徴的な概念を他者と交換するための道具であると言える。
これは、数百万年前、森に棲むチンパンジーたちと袂を分かってから
ホモ族が身につけた最強の武器。
それを私は最大限に生かしたいと思うのだ。
痛い、なんて自省している場合ではないのだ。
今日の空のいろは一二を争う出来事だった、海もうっとりするほど澄んでなまめかしい模様を造っていた。
ふねでヤスコさんに逢う。
彼女はまじめなひとで、話すと私の穢なさが浮き出てしまう、わたしはふねを降りたあと薬の臭いが充満した空間にいき脚を出した。靴を脱ぐとくっつ いていた虫の脚が剥がれ落ち茶色の欠片がぼとりと笑う。逃げ出したさきで、内田春菊に浸かっているとおなかが痛くなって現実が薄れていった、あたしだって きらいだよあんなおんな。仕方がないからサプリメントをたくさん買ったらリュックサックがぱんぱんになって、そろそろ紙を買わないといけないんだが帰りの ふねのなかで若いおんたたちがわらっていて私は必死で堪えている。今すぐ走って海に飛びこんでみたい。でももうすぐ港に着くんだ。
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よくよく考えたら、すごくハードボイルドな生活なのかもしんない。今日は久しぶりに自由に時間を費えて気持ちよかった、全身くろずくめですっぴん はあんまりだから耳に真珠を着けたが、アイラインくらいひけばよかった。本屋ですれ違ったスーツの男が私を見、足元にいるちいさな男の子がわらう。でも誰 も私の靴の中におおきな蜘蛛がいるなんて思わないだろ。ざまあみろ。
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今敏の遺書とパプリカのヒラサワ音楽に侵されていて、妄想代理人すきじゃなかったけれど、パプリカは原作である筒井ワールド(あの有象無象の世界)とKONのビジュアルがマッチしていて、重度のツツイストとしては原作に勝るものなしと言いたいところだが、あれは良かった。
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それにしても、手袋いらずになるなんて、世の中あたたかくなったんだなあ。
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くるみおいしい。
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ぽりぽり
最近、物事がだんだんいい方向に向かってきている。
これで風邪やfluにさえかからなければ、結構完璧かもしれない。
そんな中、夢を見た。
昨日の夜のこと。
私は寝床に臥している。
枕元には母親が、手元には恋人が座っている。
(母親は本物だったが、恋人は見たこともないような顔の男だった。ただ、その中では恋人という認識を確かに自分で持っていた。)
私は死の間際にいる。
体中がだんだん冷えていくのがわかり、痺れの余り、どこも思うように動かなくなっていく。
それを見とってかどうかはわからないが、恋人が、私に接吻をした。
私は、その中に生を感じ取った。
そして自分は死ぬのだな、という実感が急激に襲ってきた。
すると恋人はいきなり私から離れた。かれはその中に死を感じ取ったらしい。
私の死が怖くて今離れたのでしょ、と彼に告げると、
彼は怯えたような顔をして頷いた。
その瞬間、私はそれまで半ば諦めていた生に対するものすごい執着が湧いてきて、
それでも体は動かなくて、
という、どうしようもない夢だった。こわかった。
夢分析によると、死ぬ夢は生まれ変わりを示唆していて、とても良い夢であるというけれど
あまりにリアルすぎる死の感覚、
私にとって、それは恐怖以外の何物でもなかった。
しばらくベッドから抜け出せなかった。
つい先ごろ、わたしはこの世に誕生した。
11日から今日という日になった瞬間
ベッドの中で、自分自身で身体を支えるように、両手で抱きしめて、蹲り、
まだ母親のおなかの中にいる時みたいな体勢をとった
24歳、おめでとう。
自分で声を発してみると、他人のようで奇妙なわたし。
今まで12日は何某か、誰かが祝ってくれて
それはお酒だったりプレゼントだったりしたんだけれど、とてもしあわせで
だから何もない、今日、
自分で何か作ろうと思ったけど、生憎お気に入りの美術館は開いてないしお気に入りのお店も開いてないしで
まあ、こんな誕生日もアリか。と思ったのだけれど。
Frm お母さん
Sub お誕生日おめでとう!
この時間、母はまだ必死で痛みを耐えていたのですが、生まれた時は14時間の痛みが吹っ飛ぶくらいの喜びでした。今考えればシナは抵抗していたのかもしれませんね。でも、人生には楽しいこともたくさんあります。シナにはくいが残らないように生きて欲しいです。・・・
今日という日が味気なくて厭だなんて、
わたし、24歳になってまでなに言ってんだろ。とは思わない、
だってまだ24だし
でも今日って、ほんとに大切な日なんじゃないかな、とおもった。
なんでかわかんないけど、おかあさんからのメールを読んで、そう思った。